take it easy.

気楽にいこうよ。

それは私になる

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三日坊主も甚だしくて自分でも嫌になる。

「誰が読んでいるのさ?」「読む人のために文章考えよう」などと良くも悪くも他者の視線を気にしてしまい、筆が止まるのかもしれない。

もっともっと気楽に書けるSNSfacebooktwitterなど)はちょこちょこと更新しているのだが、ある程度のボリュームがないと見栄えしない気がしてしまうのだ。

「見栄え」という考えも自分ではなく他者の視点だな。

 

全部「気のせい」。

本数たまっていかないと誰の目にも止まらないのだろうから、もう少し書いてみることにします。

 

それは私になる

最近、食べるものを気にするようになった。

以前に比べれば、という程度のごくごく小さな変化ではあるのだが、野菜とフルーツを摂るようになった。

どちらかと言えば苦手な意識が強かった両者である。特にフルーツの食わず嫌いは自分でも凄まじいと感じている。数種類のフルーツ以外は基本的に口にしてこなかった。

それが、スーパーの売り場で「今日はどれにしようかしら」と頬に手を当て考えるようになり、今はアボカドとパパイヤが食べたいなと考えている。近所の人のおすそ分けの、庭でなったというビワもおいしくいただく。結構な進歩ではないかしら?

 

きっかけは以下の通り。

先日、とある場所にお邪魔した際、フルーツ盛り合わせをどどんと出されたのだ。場の空気からも、手を付けずに逃げることが憚られてしまった。先方には「実は、苦手なんですけど」と断った上で、一つずつ食べてみることにした。同じ種類のフルーツも品種違いなどが用意されており、「これはおいしいけどこれは苦手」「こんな味の品種があるんだ!」などと楽しみと驚きをもって食べ進めた。合計7種ほどあったが、どうしても無理!というのは1種類だけで、あとはすべて自発的に2つ目もいただいている。

 

食べられない、食べたくないと決めつけるのではなく、食べられる品種もあるのではないか、工夫次第で食べられるようにならないか、などを考えるのは思いの外楽しいことに気がついた。

 

そういうことを考えていたら、野菜についても食べてみようという思いになり、苦手意識の強かったものから手を出している。そして調理法で克服できそうな気にもなっている。

こうなると、必然的に食べるもののバランスが変わっていった、という次第。

 

とはいえ、肉も甘いものもジャンクフードもカフェインも好きだし、余力がないときは食事を抜いたりインスタントなもので空腹を紛らわせることもある。

ただ、口から入るものは、いずれ私の身体を構成するものになるのだ。

必要なものの取捨選択は私の内臓を信じるとして、ある程度のバリエーションはこちらで提示していくのばアリなのではないかしら?と今では思う。

 

口から入るものに限った話ではなく、目や耳、つまり五感で得られる情報はすべて私の身体(と心)を形作るものだと思う。

触れるものすべてにもこの感覚を持っていられたら。

どうやったって不要!と感じるものを、無理に取り込む必要はないんだよ。